ポジティブ心理学とポジティブ幻想

 

 

ポジティブ心理学


ポジティブに捉える感情を研究している心理学の分野があります。1998年に、全米心理学会会長のマーティン・セリグマン教授によって提唱された新しい心理学の分野です。それはポジティブ心理学といい、幸せや生きがいを感じ人生を充実させる為の研究で、近年注目されています。

ポジティブ心理学は、コーチング(人材開発の技法の一つで対話によって相手の自己実現や目標達成を図る技術)にも応用されています。スポーツ、企業、教育、医療、軍隊など幅広い分野での導入が推進され、人材育成や自己啓発に成果をあげています。

ポジティブ心理学によると、ポジティブな感情は、思考の柔軟性や適切な問題解決の意志決定をもたらし、全般的にプラスの効果があると解釈されています。しかし、このような特徴が当てはまらないポジティブ感情の人もいます。

そういう人は、自己中心的な楽観性があり、思い込みが激しい傾向があります。自己中心的な楽観性のポジティブ感情は、思考が偏り適切な問題解決の意志決定をもたらさず、本人や周りの人にマイナスの影響があります。


ポジティブ幻想

楽観的に歪曲した認知のことを、ポジティブ幻想(ポジティブ・イリュージョン)と言います。これは、アメリカのシェリー・テイラーとジョナサン・ブラウンという心理学教授が提唱した概念です。

ただし、人格特性や主観的な知覚などの認知が、何をもって歪んでいると判断するかは困難な問題だ、とテイラーらは言っています。

ポジティブ幻想は、現実に即していない誤った認識の仕方をするため、幻想と名付けられています。ポジティブ幻想の傾向がある人は、自己中心的な楽観性に傾いた自己や環境の捉え方をします。この心理的傾向は、一時的な思い違いや認識のずれとは言えず、持続的なものです。

ポジティブ幻想の傾向がある人は、自分自身や取り巻く環境に対して、自己中心的な確信を持っています。それがたとえ、本人の実力が伴わなかったり、現実的な見通しが立たなかったり、偶然や運の要素で結果が決まるような状況であっても、その確信は揺るぎません。


三つの領域

ポジティブ幻想の具体的な特徴として、テイラーらは次の三つの領域を挙げています。

〔1〕自己に関する認知の領域
自分を肯定的に捉え自身の価値を見出す。(自己高揚動機)
例:私は良い人間だ、私は平均より優れている、など。(平均以上効果、レイク・ウォビゴン効果)

〔2〕環境に関する認知の領域
周囲の状況をコントロールできると信じている。(コントロール幻想)
例:私が応援するとチームが勝つ、私が指揮を執れば現状は今より良くなる、など。

〔3〕未来に関する認知の領域
非現実的に自分の未来を楽観視する。(非現実的楽観主義)
例:将来は大金持ちや有名になれる、いつか運命の人が現れる、など。


買い被りバイアス

ポジティブ幻想は、自己に関することにのみ楽観的に歪んだ認知であると言われています。しかし、ポジティブ幻想の傾向がある人は、自分に都合良く楽観的に考えてしまうため、不用意に人を信じてしまい、実際の人物像より買い被って他者を判断する場合があります。

人を買い被る認知のことを、買い被りバイアスと呼んでいます。 たとえば、人間性もしくは能力的に問題がある人について、冷静に判断すれば問題に気付くような状況であっても、周りの人が忠告しても、良心的もしくは有用な人だと思い込んでいることがあります。

しかし、買い被りバイアスの傾向がある人は、全般的に人を買い被る訳ではなく、自分が受け入れたくない人物や意見や事柄については、頑なに認めない場合もあります。

このように、ポジティブ幻想の傾向がある人は、自己に関してだけではなく、他者にも思い込みで解釈する傾向があります。そのため、ポジティブ幻想の具体的な特徴について、上記にある三つの領域の他に、他者に対して思い込みが激しい解釈をする「他者に関する認知の領域」も加えた方がよいのではないかと、私は思っています。


精神的健康の基準

従来は精神的に健康な人は、現実を客観視できる人であるという考えが優勢でした。しかしテイラーらは、ポジティブに傾いた認知は、精神的健康につながることを示唆しました。

テイラーらは、精神的健康に関する先行研究の中から、4つの精神的健康の基準を抽出し、ポジティブ幻想と結びつけて、ポジティブに傾いた認知が精神的健康につながると主張しました。

これらの能力を有することが、精神的健康の基準になるとされています。

〔1〕幸福で満足していられる能力。

〔2〕他者に配慮し他者とよい関係を築く能力。

〔3〕創造的、生産的な仕事をする能力。

〔4〕ストレスに直面しても、成長、発展、自己実現を成し遂げる能力。


ポジティブ幻想によるマイナスの影響

ポジティブ幻想のような自己高揚的な認知をしている人は、個人や集団との関わり合いで、有害な行動を示すという指摘があります。

そこで、ポジティブ幻想の傾向がある人によく見られる考え方や行動パターンで、思考が偏り適切な問題解決の意志決定をもたらさないなどのマイナス面に焦点を当てて、具体的な性格傾向の例を挙げてみました。

自己中心的な楽観性

ポジティブ幻想の傾向がある人は、全般的に自分の都合の良い方に考える傾向があります。そのため、問題のある事象に関しても、問題意識を持たないことがあります。

一度失敗した事柄に関しても問題意識を持たなければ、懲りずに同じ失敗を繰り返すことになります。それは、自分に非があるような失敗をしても、自分以外に原因があると思ったり、今回はたまたま運がなかったなどと、自分の都合の良い方に解釈するからです。

褒められた時のような本人にとって嬉しい記憶は、後々まで憶えていて自慢したりします。その逆に、けなされた時のような本人にとって嫌な記憶は、忘れてしまったり現実をねじ曲げて記憶していることもあります。

都合の良い方に解釈した聞き間違いも多くあります。本人は楽観的でストレスを感じにくいですが、自分の都合の良い方に考える傾向が自己中心的な面として影響すれば、周りの人にストレスを与える場合もあります。

なんとかなる思考

ポジティブ幻想の傾向がある人は、全般的に“なんとかなる”と思っています。そのため、積極的に行動しますし、無茶な行動をすることもあります。自分が大変な状況でも、人の頼みを気軽に受ける場合もあります。

消極的楽観主義

ポジティブ幻想は、結果を期待するだけではなく、自分の行動によって望ましい結果を出そうとする信念であると考えられています。

確かに、ポジティブ感情を心に抱いて積極的に行動すれば、希望通りの結果になることもあるかもしれません。しかし実際には、ポジティブ幻想により、行動力が乏しくなるタイプもいます。

いつも、なんとかなると思っているため、深刻な状況でも焦らず呑気に構えて、行動を起こさない人もいます。このような認知の傾向を、消極的楽観主義と呼んでいます。

消極的楽観主義者は、行動を起こさないことで深刻な結果を招く場合もあります。たとえ行動したとしても、ギリギリまで追い込まれるまでは、現実に則した対応をしません。やらなければいけない責任を果たさない場合もあります。何か奇跡的なことが起こると信じている時もあります。

しかし運の良い人は、成り行きのその場凌ぎで、不思議と本当になんとかなるケースもあります。ですが、本人が対処しない場合は、そのぶん周りの人にしわ寄せがいきます。

このように、ポジティブ幻想の傾向がある人でも消極的なタイプは、精神的健康の基準の中の「創造的、生産的な仕事をする能力」の傾向があまり当てはまらない人もいます。

ただし、全般的に行動が消極的という訳ではなく、自分のやりたいことや得意なことや抵抗がないことに関しては、積極的に行動します。

危機管理意識の欠如

ポジティブ幻想は、危機を知覚するのを妨げ、状況に対しての適切な対処の準備や修正も妨げるため、結果的に不適応につながるという指摘もなされています。

ポジティブ幻想の傾向がある人は、自分の都合の良い方に解釈したり、いつも“なんとかなる”と思っているため、危機的な状況でもポジティブです。
一般的には、大変な時こそ前向きに考えるとか、ピンチの時こそチャンスなど、危機的な状況であってもポジティブである方が良いという捉え方もあります。

ポジティブな感情は良いのですが、自己中心的な楽観性の傾向がある場合は、現実に即した捉え方をせず、客観性を欠いているのが問題なのです。他者が現実を指摘しても、臭い物に蓋をするように現実から目を背け、問題がおきたらどうするかを考えるよりも、気楽な方に考えたがります。それに、買い被りバイアスの性質により、あまり人を疑いません。このような捉え方をするため、ポジティブ幻想の傾向がある人は、危機管理をする必要性を感じない人が多いようです。